外資系金融から足を洗って(?)、もう5年になりますが、
ありがたいことに当時の皆さんと、
いまだにお付き合いを続けさせていただいております。
ポジションがエグゼクティブ・クラスになると、
知力・気力・体力その他もろもろが高いレベルで要求されますが、
「できる人」ってどういう人なんやろ?
私は、昔からずっとこのことに興味を持っていました。
それを体系立てて、
著書『外資系エグゼクティブの逆転思考マネジメント』
にて紹介しましたが、
それ以外にも私が感じている
「できる人」の行動特性がたくさんありますので、
今日はその中から1つ紹介します。
それは、
「個人的には」という言葉を使わない、です。
最近、人の話を注意して聴いていると、
「個人的には、こっちが好き」
「個人的には○○がいい」
「個人的にはいいと思う」
など、わざわざ「個人的には」と断る必要がない場合でも、
この言葉が乱用されています。
そこには、
「あくまでも、自分がそう思うだけだからね」
「だから、あまり触れないでね」
「ね、ね、分かってね」
といった防衛意識が働いていて、
あらかじめ自分を守るための予防線を張っているわけです。
まあ、そのこと自体をとやかく言うつもりはなく、
「個人的には」が正しく使われている場面についての話です。
たとえば、
「みんな、分かってくれ。
個人的にはこのやり方には反対なのだが、上の決定には従うしかない」
組織の中で時々起きうることですし、
私も何度かそのような場面に出くわしたことがあります。
しかし、このような場面でも、
「できる人」は「個人的には」という言葉は使いません。
なぜならば、個人的には反対であれ何であれ、
上司の決めたやり方に従うと自分が決めたわけです。
決めたのであれば、なすべきことは結果を出すことです。
いまさら「個人的には」などと部下に向かって言ったところで、
それは、結果を出すことに対して何の役にも立ちません。
にもかかわらず、実際には
「個人的には反対なのだが・・・」
と言う上司も少なからず存在するのはなぜでしょうか。
「ね、ね、分かってね」と弁解をしているのです。
しかし、上司からそのような言葉を聞かされる
部下はたまったもんではありません。
その瞬間、
「なんだ、上司も嫌々従うのか」
といったネガティブな空気が広がり、
チーム全体が嫌々ながらに仕事をすることになります。
「ね、ね、分かってね」などの甘えた上司は、
甘えた仕事の仕方しかできなかったように思います。
「できる人」は、このようなメッセージの出し方をします。
どうせやるなら、「徹底的にやろうじゃないか」
どうせやるなら、「このような意味を持たせようじゃないか」
どうせやるなら、「もっと工夫をしようじゃないか」
結果を出すことによってチームを成長させようとし、
結果を出すことによって、自分の発言力も高めようとします。
上司の判断に従い、このやり方でやると決めた
自分の決断に責任を持つのです。
責任ある役職にある人の言葉は、
部下にとっては、個人的な言葉ではなく
影響力のあるその役職の言葉です。
「個人的には」なんぞ、
メッセージを伝えるときには意味の無い言葉です。
もし、上の決定に本当に納得できないときには、
「個人的には」などと言い訳をせずに、
とことん上司にたてついて喧嘩をするぐらいの
「できる人」も何人か知っています。
私は、そのような上司について行こうと思っていました。