先日、ある県の教育委員会のご依頼で、公立高校の校長先生向けの講演をさ
せていただきました。演題は「教職員の主体性を伸ばす人材育成」です。
根っからの企業人で、しかも外資系出身の私にとって全くの異分野なのです
が、あえて異分野から学ぶことで自分たちも変わっていかなければならない
という関係者の意識の高まりだそうです。
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人の学習姿勢には2種類ある
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さて、この「学ぶ」ということですが、人の学習姿勢には2種類あります。
一つ目は、「評価者」としての姿勢です。すなわち、手にした情報を「使え
るか、使えないか」という視点で判断しようとするのです。
評価者の典型的な思考は次のようなものです。
・うん、その方法は使える!
・理屈はわかるが、すぐには使えない。
・ウチの会社とは状況が違うので、そのやり方は使えない。
・自分とは置かれた環境が違うので、その方法は使えない。
・まさに、いまの自分にぴったりのノウハウだ。これは使える。
接した情報が使えると思えば取り込み、使えないと思えば切り捨てます。
さらに、使えると思ってやってみたがうまくいかなかったとき、「やっぱり
使えない」と切り捨てます。
「評価者」は、常に「使えるか、使えないか」という基準で情報を評価して
いるのです。
しかし、このような取捨選択の結果、最終的に手にすることができる情報は
ごく限られたものとなってしまいます。しかも、それは、誰かの受け売り以
上のものにはなりません。
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「学習者」としての姿勢とは?
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これに対して、もう一つの学習の姿勢は「学習者」としての姿勢です。
彼らの典型的な思考は次のようなものです。
・どうしたら、使えるようになるのだろうか?
・状況は違うが、どうしたらウチの会社に適用できるのだろうか?
・違う業界の話だが、そこから得られるヒントは何だろうか?
つまり、接した情報をどうすれば使えるようになるのか、そこから得られる
ヒントは何かを自分に問いかける姿勢です。
そこから工夫やアイデアが生まれ、使えるようにするための試行錯誤が始ま
ります。そのままでは使えなくても、すぐには適用できなくても、ヒントを
得て工夫することで、自分にフィットしたノウハウに変換していこうとする
のです。
以下は、先ほどの校長先生方への講演で、講演後にいただいたコメントの一
例です。
「人材育成の根底にある考え方がヒントになりました」
「講演内容をアレンジして、ぜひ、自校の活動に生かしたいです」
まさに「学習者」としての姿勢です。あえて違う分野の人の話を聴くことで
普段とは違う情報に接し、新たな視点で情報を自分用にアレンジしようとす
る―――さすがに、教育・学習のプロフェッショナルだと思いました。
教育も、一方的に正解を詰め込む教育から、自分で考える力を養う教育へと
変わりつつあると聞きました。そこに必要な思考を、皆さん自身が実践して
おられるのでしょう。
「評価者」が、すぐに確実に使える正解を誰かに与えてもらおうとするのに
対して、「学習者」は情報を自分なりにアレンジして、自分にとっての正解
を考え出そうとします。
どちらが、最終的により多く、より質の高い学びを手にするかは明らかです。
学習の姿勢は自分の意思で変えることができますし、私は、人が持っている
学習者としての力を信じます。
拙著『管理職1年目の教科書』と『管理職3年目の教科書』では、両書とも、
読者の皆さんに対して次の一文を「はじめに」で書いています
「ここに書いていることは、あくまでも一個人の体験でしかありません。正
解のない問題に対して、書かれていることの背景と理由を理解して、自分が
納得できる答えをあなたに合った形で見つけ出してください」
皆さんが、学習者としての力をますます磨いていかれることを願っています。