究極の「利他」は「利己」そのものである

■良き生き方とは

 

最近、あちこちで
利他の精神、利他の心など、
「利他」という言葉が目につきます。

 

いろんな定義がありますが、
「自分のことよりも、他人の幸福を第一に考えること」
というのが平均的な解釈でしょうか。

 

一方、なじみのある
「利己」という言葉も健在です。

こちらは、「利他」の反対表現を用いれば、
「他人のことよりも自分の幸福を第一に考えること」
でしょうか。

 

この「利他」と「利己」について
ある人がこんなことを言っていました。

 

+++++

仕事は利己の精神ではなく、
利他の精神で行いましょう。

自分の幸せだけを考えてやっていると、
いずれ人から見放されるが、

人の幸せを第一に考えてやっていると、
回り回って自分に幸せが戻ってきます。

だから、利他の精神が大切です。

+++++

 

もんのすごーーーーーい、違和感です。
ダースベイダーが鼻歌歌いながらスキップしているような・・・。

 

だって、何のための「利他の精神」かっつうと、
結局、回り回って自分に幸せが戻ってくるから?

 

えっ、それを期待するのって、もろに「利己」やんけ!

利己のために「利他の精神」を利用するっちゅうんか?

 

 

とまあ、大騒ぎするのも大人気ないので
ここまでにしますが。

 

 

私は、利己と利他についてはこのように思っています。

「究極の利他は利己そのものである」。

 

心から人のために何かをしている人には、
「いずれ自分が幸福になるから」
なんちゅう損得勘定はないと思うんです。

 

そうではなくて、
人のために何かをすること自体が、
自分の幸せであり喜びなんです。

 

つまり、
人のために何かすること(利他)
イコール、自分のためにしていること(利己)です。

 

人には、誰かの役に立ちたいとう
「貢献欲求」があります。

その、『自分の欲求を満たすために』
人の手助けをしたり、ボランティアに参加したりします。


たとえ相手から

「ありがとう」の言葉がなかったとしても、
何かに貢献している自分を確認することで
貢献欲求は充足され、幸せな気持ちになります。

ネット振込で募金をした後の
ちょっとした幸福感などもその一例ですね。

見返りを求めない貢献は、
それ自体が自分の喜びである、

すなわち、
「究極の利他は利己そのものである」です。

 

いやいや、やっぱり
「ありがとう」の言葉が欲しいよね、という人は、
「貢献欲求」に加えて、認められたい、感謝されたいという
「承認欲求」が強いのでしょう。

それも、
自分の欲求充足のための自然な行動であり、
別に悪いことではありません。

ただ、感謝されるという承認欲求が満たされないと
行動が続かない・・・という可能性も。

 

要するにですね、
人のために何かをするときは、
もう、「利己」だの「利他」だのゴチャゴチャ言わずに
「やりたいからやる!」

これでいいんじゃないでしょうか。

 

東北地方の復興を
手弁当でずっとサポートしている
ある方が言っていました。

「誰かのために?
い~や、やりたいからやっているんです。
だから、続けることができるんですよ。」

 

余計な能書きが一切ない、透明な清涼感を感じます。

 

 

関連記事

無料メルマガ



お問い合わせ



東洋経済オンライン





ブログ新着記事

  1. 「ダブルメリット話法」で健全に上司をころがす

  2. 上司と部下は同じものを見ているか?

  3. 相手に誠実である前に自分に誠実である

  4. Clean Hands, Cool Brain, Warm Heart

  5. 企業が求める“VUCAの時代”を生き抜く人

TOP