先日、小学校の卒業文集を発見しました。
懐かしい顔を思い浮かべながら読んでみると、
クラスメイト一人一人が将来の夢を語っています。
おとなになったら・・・
とこやになって、
お客さんに喜んでもらいたい(仙一くん)
ピアノの先生になって、
音楽の好きな子をふやしたい(智子ちゃん)
化学者になって
技術の進歩にこうけんしたい(幸一くん)
バスの運転手になって、
子どもたちを楽しい遠足につれていきたい(信男くん)
かんごふさんになって、
日本中の人が健康で生活できるようにしたい(美乃里ちゃん)
本当に素直で素敵な夢です。
文集を読んでいるうちに、あることに気がつきました。
多くの子たちが、このような表現をしているのです。
おとなになったら、○○になって□□をしたい。
つまり、
大人になったら○○になりたい、
ということだけではなく、
1.○○になることによって、
2.□□を実現したい。
こういう文脈です。
たとえば、智子ちゃんは
1.ピアノの先生になることによって、
2.音楽の好きな子どもを増やしたい
信男くんは
1.バスの運転手になることによって、
2.子どもたちに喜んでもらいたい
なりたい「目標」とその先の「目的」が
セットになっている「目的志向」の表現です。
きっと、智子ちゃんや信男くんは、
音楽が好きになっていく子どもの姿や
遠足で喜んでいる子どもの姿を考えながら、
ワクワクしながら書いたことでしょう。
さてさて、
私たち大人はどうでしょうか。
「どんな仕事をしているのですか?」と聞かれたとき、
「銀行で経理をやっています」
「保険の営業をやっています」
「機械の設計をやっています」
「コンプライアンスをやっています」
ここで終わってしまい、
子どものころ当たり前のように
抱いていた「□□を実現する」という
目的部分がそこにはありません。
子どもの時に文集に書いた
みんなに喜んでもらうため、
世の中に貢献するため、
子どもたちに夢を与えるため、
こういう世界にするため、
というその仕事が社会に与える影響や意味を、
いつの間にか忘れちゃっています。
でも、本当は、
経理、営業、設計、コンプライアンスをやっている理由、
その仕事を通じて世の中にどのように貢献したいか
という理由があるはずなんですよね。
今からでも、
そのことをもう一度思い出すと、
あらためて今の仕事が大切なものに思えてきます。
「どんな仕事をしているのですか?」と聞かれて
卒業文集のように、
「○○の仕事を通じて、□□を実現したいと思っているんです」
こういう自己紹介ができたら素敵な大人ですよね。