『老子』は、今から約2600年前、
紀元前6世紀ごろの古代中国の思想家の著書ですが、
今の時代に生きる我々に多くのことを語ってくれます。
『心が鎮まる老子の教え』
(王福振編・漆嶋稔訳、日本能率協会マネジメントセンター)
は、老子の言葉の平易な現代語訳に加えて、
それを理解するための著者のわかりやすい解説が
豊富に加えられています。
今日は、この本の中で著者が紹介している
ある挿話についてです。
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屋台を引いて金魚鉢を売っている老人がいたが、
その日は金魚鉢など誰も見向きをしてくれず、
途方に暮れていた。
そこへ、金魚売りの屋台が通りかかったとき、
あるひらめきで、
数百匹の金魚を全部買い取ってしまう。
そして、近くの水路の清流に石を投げ込んでせき止めて、
買ったばかりの金魚を全て放流する。
それに気づいた通行人が我先にと金魚を
手づかみし始めたところで、
「金魚鉢はいらんかね~」と声を掛けると、
金魚鉢はあっという間に売れてしまい、
差し引きで十分な利益を得ることができた。
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要約するとこんな話で、
「得たければまずは与えよ」という文脈の中で紹介されています。
さてさて、
友人たちとの飲み会の席でこの話をどや顔で紹介したところ、
「得たければまずは与えよ」
という老子の教え「以外」に、この話から何を学べるか?
という「勝手な解釈大会」になりました。
「人はやっぱり、具体的に見える「得」には飛びつく」
「目的のある投資は実を結ぶが、目的のない投資は消費となる」
「タダで手に入れたものを維持するためにお金を使う人の心理」
「一番儲かったのは、一番欲しいものを売っていた金魚売り」
ここまでは、まだまともでしたが、
「これぞ、元祖金魚すくい」
「麻雀で和(あ)がりたければまず振り込め」
「振り込むことを「放銃」と書く、「放流」と一字違い!」
という、訳のわからないものになり
ついに、
「今こそ金魚を大放流する時代だ」???
まあ、酒の席の余興ですが大いに盛り上がりました。
で、こんな小さな話題でも
わけもなく楽しかったのはなぜかと考えると・・・
「批判者」がいなかったからなのです。
思いつくことを好き勝手に話しているのですが、
たとえへりくつでも全員が、
自分が学んだことを話している「学習者」だったのです。
学習することよりも批判することが好きな
「批判者」って、確かにいます。
「本当に皆が金魚を手づかみするかよ?」とか、
「金魚鉢買うぐらいなら捕った金魚を逃がすだろ」とか、
「2回目は通用しないよな」とか、
こういう人が一人でもいると、途端に楽しくなくなります。
批判者でいるよりも学習者でいる方が
楽しい場を作ることができる。
間接的ではありますが貴重な老子の教えです。