元中日投手・山本昌氏が「50歳まで投げられた理由」

├偶然のマネジメント

 

少し前のことですが、
50歳までマウンドに立ち続けた
中日ドラゴンズの元投手・山本昌(まさ)さんの
講演を聴かせてもらいました。

 

通算219勝の名球会投手ですが、
「最年長記録」をなんと11個も持っています。

最年長ノーヒットノーラン(41歳1ヵ月5日)

最年長完封勝利(45歳43日)

最年長奪三振(49歳363日)

最年長先発登板(50歳57日)

などなど、まさに最年長記録ホルダー!

 

講演の中で、
50歳まで投げ続けることができた
理由をいくつか挙げておられましたが、
その1つが「スクリューボール」。

一旦浮き上がるように見えてから
大きく落ちる変化球です。

「この球を投げることができたから、
ここまでやってこられた」とのこと。

 

しかし、このスクリューボールとの出会いは
「偶然」だったそうです。

 

中日に入団後、2年間、勝ち星ゼロで
まったく成果を上げることができませんでした。

3年目に実質戦力外扱いされての
米国ドジャーズ傘下のマイナーリーグへの交換留学、
所属は「4軍」相当の球団だったそうです。

でも、腐らずに日々懸命に過ごしていたとき、
チームメートのメキシコ人内野手が
遊びで変化球を投げているのを見たのです。

驚くほど変化している球に衝撃を受け、

「ちょー、ちょー、ちょっくら投げ方教えてちょ」

とボールの握りと投げ方を教わり投げてみたら、
これまた信じられないぐらいに変化した。

その後、試合で試してみたら使える、使える!!
いつしか、自分の決め球になっていました。

 

この変化球こそが、その後のピッチングを支え続けた
「スクリューボール」だったのです。

 

そのような米国「4軍」での試合の様子をビデオで観た
当時の星野仙一監督が「すぐに帰ってこい!!」

留学途中で帰国、優勝争いをしていたチームに加わり、
プロ入り初勝利の後の4連勝、リーグ優勝に貢献します。

 

私はこれまでコラムを通じて
「人の人生は偶然に左右されているが、その偶然は自分が起こしている」
ということを何度も伝えてきました。

 

山本昌さんのスクリューボールとの出会いも偶然でしたが、
その前後には彼自身の行動の選択があります。

 

実質戦力外扱いでも交換留学を受け入れた

4軍でも腐らずに練習した

チームメートの変化球に気がついた

教えてくれとお願いした

試合で試してみた

 

このような、彼自身の行動の選択が
スクリューボールとの出会いとその後の活躍へとつながっています。

 

もし、米国留学を断っていたら…

真面目に練習に出ていなかったら…

チームメートに無関心だったら…

教えを請うことをしなかったら…

試合で試そうとしなかったら・・・

 

どれ1つ欠けても、その後の山本昌はなかったでしょう。

 

「あのときのスクリューボールとの出会いが
私の人生の転機の1つでした」

どん底で偶然を引き起こし、それをモノにした選手の言葉です。

 

今季限りでの引退を発表していた2015年。

山本昌さんは50歳57日で、
日本野球史上初の50歳登板を果たします。

 

「打者1人」という条件での先発でしたが、
相手チーム広島の打者をセカンドゴロに打ち取り
彼にとって最後の公式戦を終えました。

 

その時、打者に向かって投げた3球は、
全てがスクリューボールだったそうです。

 

良き偶然を引き起こし、
出会った偶然をモノにするのは、
前向きな気持ちと小さな行動の積み重ね、

やっぱりそうなんだ! と思いました。

 

 

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