「失敗から学べ」と言われても、やっぱり凹んでしまう

├できる人の仕事への姿勢

 

成長していくためには
失敗から学ぶことは大切です。

それが、成功への必須条件の
ように言われたりもします。

 

エジソンを始めとして、
失敗から学んだ先人たちの
エピソードも山ほどあります。

「失敗、サイコー!!」ってか?

 

しかし、
寝食忘れてむちゃくちゃ頑張って、
これ上できないというほど準備して、
ここ一番の大勝負に望んで、

で、でも、
うまくいかなかったら・・・・・・・

そりゃ、思いっきり凹みます。

 

自分の無力さを思い知るって、
かなり辛いです。

 

そんなとき、
「結果はどうしようもないので、
そこから何かを学ぶしかないでしょう」

とか、

「失敗と思わずに、成功への
ステップだと思えばいいじゃん」

なんて言われても、
頭では分かっても、
凹んだ気持ちは回復しません。

 

だって、失敗から学ぶというのは、
「何が悪かったのか?」とか
「どうすればよかったのか?」とか、
考えたくもないようなことに向き合う、
精神的にきつい作業だからです。

 

かといって、
失敗を人のせいするのは
プライドが許さないし、
逆に自分を責めてしまうと、
ますます苦しくなってしまいます。

 

そんなとき、
私はどうするかというと、

 

「神様」のせいにします。

 

櫻田「もーう、こんなにやったのに、なんなんだよ」

神様「「いやー、ごめんごめん、つい魔が差しちゃってさ」

櫻田「魔が差したじゃねえよ。次回は頼むぜ」

神様「あ、わかった、わかった、わかったから」

櫻田「まあ、1回貸しとくな」

神様「へい、どうもです」

 

これで、
自分の気持ちを少しでも和らげ、
酒飲んで寝てしまいます。

 

ふざけているようですが、
失敗から学ぼうという
姿勢を持つということと、
感情をうまくコントロールできるということは、
必ずしもリンクしていません。

少なくとも、私はダメです。

 

だから、誰にも迷惑をかけずに
しかも、自分を責めずに済むようなかたちで、
神様に責任を転嫁することによって、
気持ちのバランスを取ります。

 

もちろん、あくまでも、失敗直後の
一時的な対症療法ですが、

凹んだ気持ちは
時間とともに和らいでいくということを
経験的に知っているので、
その場しのぎとしては悪くありません。

 

時間がたって落ち着いてきた頃に、

「さてと、神様はなぜ魔が差しちゃったのかな?」

「神様は、何に気づけと言っているのかな?」

などと、振り返りを始めます。

 

ここから、
失敗に学ぶ作業が始まるのです。

 

なんてったって、神様に
貸しを作っているわけですから、
次回はきっとうまくいくような
気もしてきます。

 

私の場合、まだかなりの貸しが残っているため、
どこかで取り立てなければいけないと思っています。

 

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